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2005年4月24日 (日)

本田宗一郎 夢を力に

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本田宗一郎夢を力に―私の履歴書にという本を読んだ。
発売直後に買ったまま、本棚に眠っていた本なので、今月の新刊という帯がつきっぱなしになっているが、実際は2001年7月の発売。

本田宗一郎とは、いわずとしれたホンダ創業者のこと。
本書は日経新聞を購読している方にはおなじみのわたしの履歴書を含む三部構成で、ホンダ草創期から現在へと至る道程が語られている。

第一部のわたしの履歴書は昭和37年(1962年)8月に日本経済新聞に連載されたもので、モータースポーツの世界ではもはや歴史上の人物にさえ数えられる(実際、F1に対する貢献でFIAからゴールデンメダル賞を受けている。これはフェリー・ポルシェ、エンツォ・フェラーリに次ぐ史上3人目の栄誉)本田宗一郎の人となりが自らの言葉で語られている。

そして第二部は履歴書その後と題して1962年~1991年までのことが語られるとともに、本田宗一郎の盟友である藤澤武夫についてページが割かれている。
実のところ、本書においてはこの藤澤武夫について語られる部分がとても重要で、ホンダという企業を語る上でその存在感の大きさがひしひしと伝わってくる。

第三部は本田宗一郎語録。その表題通り、本田宗一郎の語録が収められている。
この中で車のメーカーとしての責任と題する下りは、依然として信頼を回復できないでいる三菱自動車に対する痛烈な皮肉にも感じられる。
この中で本田は交通機関を扱う限り、責任というものを絶対に持ってもらいたいと言っている。
本田がそう語ったのは1969年のこと。現代に比べたらはるかに安全性が軽んじられていた時代である。
この本自体は三菱自動車のリコール隠しが発覚する3年近く前に出版されており、三菱を直接皮肉ったものではないのだが、いま読むとその言葉の意味はなおのこと重い。

第2期F1挑戦の象徴的マシン、マクラーレンのサイドポンツーンに腰掛ける本田宗一郎の表情が印象的なカバーだ。

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2005年4月23日 (土)

全国高速道路&有料道路タンデムガイド

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現在発売中のオートバイ5月号日本全国の高速道路&有料道路のタンデムガイドが掲載されている。

今年の2月下旬時点における高速&有料道路のタンデム走行の可否がバイクの通行料金とともに一覧表になっている。
これを見ると、まぁ、ほぼ概ねはOKという事がわかるのだが、ごく一部で通行を禁止している有料道路もあるようだ。
神奈川県では湯河原パークウェイがこれにあたる。
他にぱっと目についた中では、関西国際空港連絡橋もダメらしい。行ったことがないのでよくわからないが、関空は連絡橋を渡らずに入れる別ルートってあるんだろうか? もしないならこれは酷な話だな。
それと、一部の一般道でタンデム走行を規制していた道路区間、これについては4月以降も引き続き禁止のままになっている場合が多いようだ。これは意外と注意する必要があるかもしれない。

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2005年4月20日 (水)

首都高タンデム

先日、初めて首都高でタンデム走行をした。
19時前後という時間も関係しているのかもしれないが、けっこう渋滞していた割に、自分たちの他にはタンデムしているバイクは一台も見かけなかった。
後ろに乗った連れの話では、やはり一般道とは違い、風圧がものすごいということだ。
高速タンデム解禁以降、様々なグッズが発売されているが、購入を考えなければならないかもしれない。

それにつけても首都高のC1環状路を使えないというのは本当に不便だ。
今回利用したのは湾岸線から1号羽田線へ抜けるコース。
本来ならC1から3号渋谷線へ抜けるところを、わざわざ海側から回り込む迂回コース。
実際、首都高でC1を回避して千葉から神奈川へ抜けるコースはそれ以外にない。
たしかに湾岸線は片側3車線ある上に、道幅も広い。C1の狭い2車線とは比べるべくもないが、せめて深夜から早朝にかけて、空いている時間帯だけでも、走行できるようにしてもらいたいものだ。それが無理なら少なくとも乗り継ぎ券くらい発行しろ!と。それくらいのこと、できないことはあるまいと思うのだが……。

話は違うが、首都高と関越道を直結させる計画ってないのだろうか?
東名から他の高速道路(中央、関越、東北、京葉)に乗る場合、まず中央道は環八や16号の一般環状路を使う場合が多いと思う。これは首都高を使うためには3号からいったんC1まで入って、4号新宿線で再び外へ出てくる必要があり、時間的なロスが大きいからだ。
一方、東北京葉に関しては、首都高が直結しており、ラッシュ時を別にすれば、たいていは下道を使うよりも早い。
問題は関越である。現在、関越道は外環道が直結しているが、これは首都高とは別料金(300円)の上に5号池袋線から大回りして入らなければならない。しかも5号池袋線は慢性的な渋滞路線。高い、遅い、遠いの三重苦だ。このため、たいていは目白通り経由で入ることになるのだが、また、この目白通りがとにかく混む
なんとかならないものかと思うわけである。

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2005年4月14日 (木)

ヤマハが2代目の電動バイクEC-02発表

20050411yamaha 11日、ヤマハがパッソルに続く電動バイクの第2弾を発表した。
車名はEC-02 (イーシーゼロツーと読む)。
どこか電動自転車の兄弟を思わせるデザインだったパッソルと違い、今回は個性的なバイクらしいデザインになった。
デザイン的にはホンダのモンキーやゴリラを想像させる。折り畳むこともできるようで、形としてはかなりコンパクト。
パワーユニットはYIPU(ヤマハ・インテグレイテッド・パワー・ユニット) と呼ばれる新開発した薄型のものを搭載。エネルギー密度は従来比で1.5倍の向上を果たしている。

ヤマハはパッソル発売時の2003年12月に東京、葛西、品川、軽井沢などで電動パッソルに関する情報発信拠点Passol Galleryを開設し、周辺に充電ステーションを設置したり、 レンタル試乗サービスなどを行ってきたが、今回もお台場のメディアージュ内にEV(Electric Viecle) GALLERYと呼ぶ情報発信拠点を開設して、意気込みが感じられる。

ただ、個人的には航続距離(フル充電時速30km定地走行テスト値で43キロ)や充電時間(6時間)、原付1種など、まだまだ不満は大きい。
原付1種という条件はともかく、航続距離と充電時間に関してはもう少し何とかしてほしい。
充電時間は80%でいいから1時間以内におさめ(現状は5時間かかる)、航続距離も通常の使用環境で100キロ程度はほしい。スペアバッテリーの搭載も可能だが、根本的な解決とは言えないだろう。
現状では(価格差を抜きにしても)いわゆる原チャリからの買い換え需要は期待できないと思う。

発売は5月21日。
価格は20万9790円(消費税込み、専用充電器含む)。
本体色は「シルバー8(シルバー)」「マットブラック2(ブラック)」
の2種類が用意されている。

特設サイトも開設された。
同サイトではペットネームの募集キャンペーンを展開。優秀作10名にはペットネーム入りのEC-02がプレゼントされる。
http://www.yamaha-motor.jp/pentagon/index.html

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2005年4月 8日 (金)

高速タンデムスタートとETCゲート破壊の頻発

今月1日からいよいよ高速道路におけるバイクのタンデム走行が解禁になった。
ここ数日、この手のニュースには気をつけていたのだが、ことさら事故が頻発したというニュースは伝わってこないから、とりあえずは静かにスタートを切ったというところだろうか。

道路関係のニュースでは、ETCの別納制度廃止に伴うトラブルでトラック関係のゲート激突が相次いだことが大きく取り上げられていた。今回はトラックだったから、ゲートや車は壊れても人身事故につながるほどの被害にはならなかったが、もしもバイクで同じことが起こっていたら、大惨事につながっていただろう。技術的には防水振動対策などにメドが立ち、早ければこの秋にもETC機器が発売されそうな感じだが、ゲートの問題に関しては専用レーンを設けるなど、安全への対策は万全にしてもらいたいものだ。

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